どんなに時代が変わっても、人の心はそんなに変わらない――
はじめに ― 150年前の “ため息” に耳をすませて
なんだか最近、うまくいかないことばかり。
頑張ってるのに空回りしてる気がして、「私だけが取り残されてるのかな…」って、ふと落ち込んでしまう。
そんなとき、そっと誰かに「わかるよ」って言ってもらえたら、どれだけホッとするだろうって思いませんか?
実はね、150年前の幕末にも、そんな気持ちを抱えて生きていた女性たちがいたんです。
強そうにみえるけれど、手紙に綴られた言葉を読んでみると――
「家族が心配」「さみしい」「不安でたまらない」
そんな、私たちと変わらない“ふつうの心”が、ちゃんと息づいているんです。
きっと彼女たちも、誰かに本音を言えずに、夜ひとりでため息をついたことがあったんだろうなって、
手紙の行間から、そっと伝わってくる気がします。
今日は、そんな手紙の声に、ちょっとだけ耳をすませてみませんか?
「私だけじゃなかったんだ」って思えるだけで、少しだけ心があたたかくなるから。
手紙が映す“歴史上のふつうの心”
今とはくらべものにならないほど、大変な時代――
戦があって、明日のことなんて誰にもわからない。
そんな不安のなかで、それでも誰かを想って手紙を書くって、どんな気持ちだったんだろう。
きっと、ほんとうは声に出せなかった想いを、押し殺すように、でもどうしても伝えたくて。
そんなふうにして、手紙にそっと綴っていたんじゃないかなって思うと、胸がぎゅっとなります。
そう思って読み返してみると、立派な名前で知られている人たちも、「こわい」「寂しい」「でも、信じたい」――
そんなふうに、私たちと同じ気持ちで揺れていたんだなって、じんわり心に届いてくるんです。
手紙って、すごいですよね。
ただの紙じゃなくて、当時の空気とか、感情とか、“そのままの心”が小さく折りたたまれているような気がします。
だからこそ、読むこちらの心にも、そっと灯りがともるのかもしれません。
これからご紹介するのは、そんな“歴史上のふつうの心”が見える手紙たちです。
もし今、ちょっと気持ちが揺れていたり、言葉にできない想いを抱えていたりするのなら、どうぞゆっくり読み進めてみてくださいね。
きっとどこかで、「ああ、私だけじゃなかったんだ」って思える瞬間があると思います。
山本八重〈会津藩〉――「負けないよ」
山本八重といえば、銃を手に戦った“会津の烈女”として知られています。
けれど本当の彼女は、戦場に立つ前から、ずっと戦っていました。
心のなかの不安や孤独と、静かに、でも必死に。
戊辰戦争で城下が火に包まれるなか、八重は兄・覚馬(かくま)にあてて、こんな手紙を送っています。
「兄さまは、きっと負けたりなどなさらぬと信じております。
引用元:『新島八重の手紙』
されど、今夜の月はやけに冷とうございます。」
…この一文を読んだとき、胸がじんとしました。
負けないよ、信じてるよって、力強く言いながら、そのすぐあとに「月が冷たい」と書く――
きっと、こわかったんですよね。
でも、そのこわさを、誰にも見せられなかった。
だからせめて、手紙のなかだけでも強くあろうとして。
震える心をそっと包みながら、「大丈夫」と伝えたかったんだと思います。
もしあなたも今、なんとか笑顔でいなきゃ、とがんばってるのなら――
八重のように、誰かを想うその気持ちは、もうそれだけでじゅうぶん、立派な強さです。
強さって、本当は “弱さを抱えたままのやさしさ” なのかもしれません。
「負けないよ」と言ったあの夜、八重の心には、誰にも見えない涙があったと思います。
でもその涙は、誰かの希望になりました。
あなたの今の想いも、きっと、誰かの光になっているはずです。
杉 文(吉田松陰の妹)――「待つことも勇気」
「待つしかできない時間」って、つらいですよね。
何かしたいのに、何もできなくて。
気持ちだけが空回りして、どんどん自分が小さくなっていくような気がして――
幕末の杉 文(すぎ・ふみ)も、そんな時間を過ごしていました。
大好きな兄・吉田松陰が獄にとらわれ、会うことも、声を聞くこともできないなかで、彼女はただ、手紙を書き続けていたのです。
「兄上の道は、きっと誰かの光になると信じております。
引用元:『吉田松陰全集』
わたくしはただ、静かに待ちます。」
この言葉を読んだとき、私は思わず息をのんでしまいました。
だって、“静かに待つ”って、思っている以上にしんどいことだから。
不安になるたびに信じ直して、寂しさがこみ上げるたびに飲み込んで、それでも「私は待つ」と言い続けること。
それって、ただ黙ってじっとしているんじゃなくて、心のなかでずっと、誰かを信じ続けてるってことなんですよね。
だからもし、今のあなたが「なにもできていない」と感じていても――それは違います。
じっと耐えて、踏ん張って、信じていること。
それこそが、杉 文のような“見えない勇気”なんです。
うまくいかない日があっても大丈夫。
動けない時間も、ちゃんとあなたの一部になっているから。
今日できなかったことより、今日、あきらめなかったことを、そっと自分に伝えてあげてくださいね。
小休止 ―― 手紙の余白で、ひと呼吸
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
たくさんの想いにふれて、もしかしたら、胸の奥がちょっとぎゅっとなっているかもしれませんね。
よかったら今、スマホをそっと置いて、静かに目を閉じてみませんか?
吸って、はいて――ひとつ、深呼吸を。

手紙の行間にあった“ことばにならない気持ち”のように、あなたのなかにも、まだ言葉にしていない想いがあるかもしれません。
それも、まるごと、今のあなたです。
慌ただしい毎日のなかで、ほんの1分でもいい。
あなた自身の心に、やさしく寄り添う時間をとってあげてくださいね。
それでは、もう少しだけ、続きをご一緒しましょう。
高杉 雅〈長州藩〉――「あなたの帰りを、信じてる」
大切な人を想う気持ちって、うれしさだけじゃなくて、ちょっとした不安や、言えないやきもちも、一緒にくっついてきませんか?
高杉晋作の妻・雅(まさ)も、そんな気持ちを抱えていた女性です。
自由奔放な晋作は、国のためにと戦いの最前線へ向かっていきました。
そのあとを見送る雅の胸には、「誇らしさ」と「さみしさ」が、きっと交差していたと思います。
のちに語り継がれた雅の手紙には、こんな一言が残っています。
「お志のためとわかっておりますが、
※この言葉は実際の手紙からの引用ではありませんが、後世に伝わる雅の心情として語られています。
わたくしのことも、たまには思い出してくださりませ。」
……なんだか、ちょっとわかる気がしませんか?
「応援してるよ」って言いたいのに、「私のこと、ちゃんと見てる?」って気持ちもあって。
でも、それをまっすぐ伝えるのは、なかなか難しい。
愛する人にこそ、素直になれない。
そんなふうに揺れる心って、誰の中にもあると思うんです。
雅のやきもちまじりのこの言葉は、ただの寂しさじゃなくて、「信じてるからこそ、待ってる」という
やわらかな覚悟のようにも感じます。
もし今、「もっと上手に伝えられたらいいのに」ってもどかしさを抱えているあなたがいたら――
その気持ちごと、大切にしてあげてくださいね。
言えなかった言葉にも、ちゃんと想いは込められていて、それはきっと、静かに伝わっていくから。
だいじょうぶ。
すぐに言えなくても、あなたの気持ちは、ちゃんと届いています。
おわりに ― そのままの気持ちが残された手紙 ―
歴史上の大事件も、誰かの日常の延長線。
そう思うと、ちょっと気がラクになりませんか?
山本八重が見た夜空も、杉 文が胸の奥でふるえていた時間も、高杉雅のちょっと不器用なやさしさも、みんな、毎日のなかで生まれた “ふつうの気持ち” だったんです。
手紙ってすごいですよね。
そのときの温度や、言えなかった想いまで、紙の上にそっと残してくれる。
しかも、そのままの思いが、それを読むことで何年経ってもよみがえってくる。
今日、うまく言葉にならなかった気持ちも、なんだか言えなかった小さなモヤモヤも、それもきっと大切な“あなたらしさ”なんだと思います。
大きなことじゃなくていい。
ふつうのままでいいんです。
そんなふうに思えたら、明日がほんのすこし、やさしくなる気がしませんか?
ここまで読んでくれて、ありがとう。
手紙の余白のように、あなたの心にも、そっと灯りがともっていますように。
ほんのひとときでも、心がゆるむ時間になっていたら嬉しいです。
今日という一日が、やさしく灯りますように。
それではまた、言葉の灯りの下で。
コメント