
夢は、大きくなくていいんです。
人に堂々と語れるようなものでなくても、心の奥にそっとある「好き」や「やってみたい」が、
あなたの未来をつくってくれます。
この記事では、吉田松陰の名言と、私自身の小さな経験を重ねながら、「夢を語ってもいい」と思える視点をお届けします。
はじめに ― 迷いながらでも、夢を語っていい
「夢を語るのは、なんだか照れくさい」
そう思ってしまうこと、ありませんか?

たしかに、夢って、口にするの恥ずかしい…
自信がなかったり、夢なんて立派なものじゃないと思っていたり。
私も、そうでした。
子どもの頃から「これがやりたい!」という強い想いがあったわけじゃなく、なんとなくの成績で高校に進み、大学へ。
しかし、就職氷河期に突入。
選べる仕事なんて、ほとんどなくて。
そのまま地元に戻って、たまたま募集していた職場に就職しました。
全然興味のない分野の仕事で、毎日が「こなす」だけの日々。
上司からの嫌がらせや、心ない言葉にさらされて――
気づけば、心も体も限界に近づいていました。

そんなとき、私を救ってくれたのは、「好きだったこと」でした。
昔から好きだった工作やデザインを、道具箱の奥からそっと取り出して、趣味として始めたんです。
誰にも見せず、ただ自分のために。
心が、少しずつ整っていくのを感じました。
いまは、その「好き」が仕事になり、自分の手で小さな灯りを灯しながら暮らしています。
だからこそ言いたいんです。
夢は、見つけたときからでいいし、小さくてもいい。

吉田松陰 ―「夢を語ることから始めよう」
吉田松陰の言葉に、こんな有名なものがあります。
「夢なき者に理想なし。
※この言葉は、吉田松陰の思想をもとに、後世に広く伝えられるよう意訳された名言です。
理想なき者に信念なし。
信念なき者に計画なし。
計画なき者に実行なし。
実行なき者に成功なし。」
これだけ見ると、「夢を持って、計画して、ちゃんと努力しなさい」と言われているようで、
少しプレッシャーを感じてしまうかもしれません。

…うん、
ちょっと説教っぽく聞こえるかも。
この言葉を初めて読んだとき、正直「厳しいな…」と思いました。
ちゃんとしなきゃ、って言われてる気がして。
でも今は、こう受け取っています。
これは「すごい夢を持ちなさい」ではなく、
「あなたの中にある想いを、信じてみてごらん」
というやさしいメッセージなのかもしれません。
松陰は、幕末の激動の中を、30年という短い人生で生き抜きました。
長州藩の下級武士として生まれながら、自ら私塾を開き、後の明治維新を支える若者たちを育てました。
彼が重んじたのは、地位や名誉ではなく、信念と“まっすぐな気持ち”。
そんな彼の言葉には、強さと同時に、未来を信じるやさしさが宿っているように思うのです。
小さな夢でも、歩き出せる
私が「好きなこと」を趣味で再開した頃、夢なんて名乗れたものじゃありませんでした。
ただ、「これをしてるときは心が落ち着くな」って感じるだけ。
でもそれでよかったんです。
そこから、少しずつ“自分を取り戻す時間”が生まれてきたから。
夢って、最初から明確なゴールがあるものじゃなくていい。
ぼんやりでも、「好き」や「心が動いた瞬間」が、灯りになることがあります。
吉田松陰の言葉に励まされながら、私もようやく、夢を語っていいんだと思えるようになりました。
今日できること

叶えたいことを、ノートにひとつ書いてみる。
→大きくなくていいんです。
「少し気になる」「ちょっとワクワクした」
そんな想いを、まずはそっと文字にしてみましょう。
おわりに ― あなたの中の灯りを、大切に

夢は、大それたものでなくていい。
ささやかでも、小さくても、心のよりどころになるなら、それでじゅうぶん。

ゆっくりでいいんだよ。
吉田松陰の言葉は、人生の正解を押しつけるものではなく、
「自分の想いを、信じて進んでいいんだよ」という励ましだったのかもしれません。
どうかその灯りを、消さずにいてください。
たとえ小さくても、それはあなたらしさを照らす光なのだから。
ほんのひとときでも、心がゆるむ時間になっていたら嬉しいです。
今日という一日が、やさしく灯りますように。
それではまた、言葉の灯りの下で。