「がんばらなくても、大丈夫」西行がくれた、心をゆるめる名言

歴史の名言・言葉

何もできなかった日も、
空がきれいだと感じられたら、それだけで充分。

この記事では、西行のやさしい言葉を通して、
「そのままの自分」にそっと〇(まる)をつけてあげられるヒントをお届けします。

疲れたときにこそ、読んでほしい内容です。

どうぞ、ひと息つきながら読み進めてみてくださいね。


はじめに ー 少しだけ、心をゆるめたくなったら

なんだか今日は、「心が重たいなあ…」って感じる日、ありませんか?

<strong>ミミ</strong>
ミミ

わたしも…
今日はちょっと、しんどいかも。

そんなとき、昔の人たちが残した言葉に助けられることがあります。

彼らは、今とは比べものにならないほど厳しい時代を生きていました。

それでも悩みながら、自分の気持ちと向き合って、言葉にしてきたんです。

だからこそ、その言葉には重みがあって、今の私たちにも届く力があるのだと思います。

今回は、西行というひとりの歌人が残した名言をひとつご紹介します。

がんばりすぎて、ちょっと疲れてしまった日に、そっと寄り添ってくれる言葉です。


西行 ― 静けさの中に生きる、という選択

「願わくは 花の下にて春死なむ
その如月の望月のころ」

(できることなら、春の満月の日に、桜の下で死にたい)

出典:西行『山家集(さんかしゅう)』

この歌を詠んだ西行は、平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた人。

もともと武士でしたが、23歳のとき、家も地位も名誉もすべて捨てて出家しました。

その後は旅をしながら、自然や人生、孤独、そして無常への思いを、ひたすら和歌に詠み続けます。

地位や名誉よりも、心の動きや美しさに正直であることを大切にした人。

だからこそ、彼の歌や生き方は、今も多くの人の心に残り続けているのだと思います。

「春に死にたい」なんて、一見すると現実離れして聞こえるかもしれません。

でもこれは、

“ああ、美しいな。こんな風に生きて、こんなふうに終わりたいな”

という、人間らしい、ひとりの願いがぽろっとこぼれたような歌なんですよね。

だからこそ、心にすっと入ってくる。

<strong>ピヨ</strong>
ピヨ

きれいだなぁ…って、思えるだけでいいんだね

何かにならなきゃ、前に進まなきゃって焦る日々の中で、

「そんなにがんばらなくてもいいよ」
と言ってもらえた気がするんです。

西行の生き方もまた、答えを出すことよりも、

「自分の気持ちに耳をすますこと」を大事にしていたように思います。

立ち止まって、ただ心を感じる。

そこにも、ちゃんと生きてる意味はある。


今日できること

ちょこっとワーク

スマホを置いて、1分だけ空を見上げてみる。

→ 何も考えずに、ただ感じる時間を、自分に許してあげよう。


おわりに ー 今日をすこし優しく生きるために

<strong>モコ</strong>
モコ

なんだか、
心がふわっと軽くなった気がする…。

西行の言葉が、なぜ今も心に響くのか。

それはたぶん、彼が“何者か”になろうとするよりも、“ありのまま”を大切にしたから。

「このままの私でも、ちゃんと生きてていいんだよ」

そう言ってくれているようで、そっと心がゆるみます。

ほんのひとときでも、心がゆるむ時間になっていたら嬉しいです。

今日という一日が、やさしく灯りますように。

それではまた、言葉の灯りの下で。

タイトルとURLをコピーしました