夜、ふっと、さみしくなることがあります。
話したい気分なのに、話し相手がいない。
こんな時間に連絡するのも悪いし、SNSを開いても、にぎやかな画面の外側にいる気分が増すだけ。
部屋の灯りの下で、ひとり――。
実はその場所、700年前のある人にとって、この世でいちばんの社交場でした。
『徒然草(つれづれぐさ)』第13段。兼好法師(けんこうほうし)の、こんな一文です。
独(ひと)りともし火のもとに文(ふみ)を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰(なぐさ)むわざなる。
(独り灯火のもとで読書して、作者や登場人物など、知らない昔の人を友とするのは、何よりも心が安らぐ。)
出典:『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』(角川ソフィア文庫)
見ぬ世の人を、友とする。
もう会えない、遠い時代の人と、灯りの下で友だちになる。
700年前の夜に書かれた、読書のいちばん美しい定義です。

兼好法師の「友だちリスト」
この段には続きがあって、兼好法師は自分の「見ぬ世の友」の名前を挙げています。
「文選(もんぜん)のあはれなる巻々、白氏文集(はくしもんじゅう)、老子の言葉、南華(なんか)の篇」
『文選』と『白氏文集』は中国の詩文集。
そして南華の篇とは、荘子(そうじ)の書物のことです。
このブログを読んでくださっている方なら、にっこりしてしまうはずです。
「休んでもいい」と教えてくれた老子。蝶になった夢の話をした荘子。
(その老子と荘子の話は、こちらの記事に書きました。→ 老荘思想とは何か−老子と荘子がそっと教えてくれる「休んでもいい」という考え方)
あのふたりは、700年前の兼好法師の、灯りの下の友だちでもあったのです。
2000年以上前の老子と荘子を、700年前の兼好が友とした。
その兼好を、今夜、わたしたちが友とする。
友情が、時間を超えて、リレーのようにつながっていく。
古典を読むというのは、そういう営みなのです。
ピヨ会ったことのない人と、友だちになれるの?



なれるよ。
だってね、本を開くと、その人がいちばん深く考えたことを、いちばん正直な言葉で話してくれるの。
生きている人どうしでも、そこまで心を開いて話せることって、めったにないでしょう?


本の中の友だちは、都合のいい時間に会ってくれる
「見ぬ世の友」には、生きている友だちにはない、ありがたさがあります。
夜中の2時でも、会いに行っていい。
こちらが疲れていても、機嫌をうかがわなくていい。
同じ話を、何度でも、初めてのように聞かせてくれる。
そして、こちらのペースで、好きなときに閉じていい。
人付き合いが苦手な人、人と会うと疲れてしまう人にとって、これほどやさしい友情の形は、なかなかありません。
(人と会うのが苦手な週末のことは、こちらの記事にも書きました。→ 週末、誘われる予定がないあなたへ―鴨長明の「桜を狩り、紅葉をもとめ」という遊び方)
さみしさが消えるわけでは、ないかもしれません。
でも、灯りの下に兼好がいて、芭蕉がいて、良寛さんがいて、老子と荘子がいると知っている夜は、ひとりの部屋が、少しだけ広くなるのです。



700年前の人の悩みが今と同じだって知るだけで、『わかってくれる人がいない』が、ちょっと嘘になるもんね。



うん。時代は違っても、人の心は同じ場所でつまずいて、同じ場所で月を見上げてきたんだよね。
慰められているのは、わたしのほうでした
じつは、このブログでわたしがしてきたことも、それでした。
古典を読んでいて、心に残った言葉を選ぶ。
どうして残ったのだろうと考えながら、記事にしていきます。
そうしているうちに、自分の気持ちのほうが整理されていることに気づきます。
読んでくださる方に向けて書いているつもりで、いつのまにか、慰められているのはわたしのほうでした。
その言葉が正しいのかどうかは、わたしには分かりません。
何百年も前の人の言うことですから、今の暮らしに当てはまらないこともあるはずです。
けれど、それだけの時間を読み継がれて、それでも消えなかった言葉には、どこか信じられるところがある気がしています。
だから今夜も、灯りの下で本を開きます。


今夜、寝る前の10分だけ、「見ぬ世の友」に会いに行く。
・部屋の灯りをひとつ落として、古典の本を、どこからでも数ページ
・手もとになければ、このブログの記事をひとつでも(それも「見ぬ世の友」への扉です)
・読み終わったら、心の中でひとこと。「また来るね」
友だちは、増やさなくても、千年の本棚にもう並んでいます。



さみしい夜はね、ひとりぼっちの夜じゃなくて、静かな友だちに会える夜なんだよ。
灯りをつけて、おいで。
「見ぬ世の人を友とする」が教えてくれること
灯りの下で本をひろげれば、時間を超えた友だちに会える。
兼好は老子と荘子を友とし、わたしたちはその兼好を友とする。
友は、そうやって時代をまたいで受け継がれてきました。
はじめてそれを知ったとき、少し不思議な気持ちになりました。
700年前の人が、わたしと同じ本を手に取っていた。
同じところで、心を動かされていたのかもしれない。
会ったこともない人が、急に近くに感じられました。
さみしい夜は、これからも来ます。
でも、その夜のための場所と友だちは、もう用意されています。
この小さなブログも、あなたの灯りの下に「見ぬ世の友」を連れてくる、紹介状のひとつでありたいと思っています。
今夜も、どうぞよい灯りを。
ほんのひとときでも、心がゆるむ時間になっていたらうれしいです。
また何かのときに、ふとこの記事を思い出してもらえたら。
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「見ぬ世の人を友とする」は第13段。700年前の読書家が、灯りの下の友情を教えてくれます。原文と現代語訳のセットで、今夜のさみしさのお供に――そして、あなたの最初の「見ぬ世の友」に。
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わたしは紙で読む派ですが、気になる方はのぞいてみてください。
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