がんばっても、なかなかむくわれない。
朝、目が覚めて、「また今日が始まる」と思うと気持ちが沈んでしまう。
思いどおりにならないことが、ずっと続いている。
それは、人に話せることかもしれないし、誰にも言えないことかもしれません。
夜、ふと、生きるってしんどいなと思う。
そんな日はありませんか。
ブッダの言葉を集めた『真理のことば』には、「一切の形成されたものは苦しみである」という言葉があります。この世のものはすべて苦しみだ、というのです。しんどい日に読んだら、もっと気持ちが沈んでしまいそうです。
ところが、同じ本には、「大いに楽しく生きよう」という言葉も入っています。
今日は、苦しみを見つめた人の本に、なぜ「楽しく生きよう」が並んでいるのか。わたしなりに読み解いた道すじを、紹介させてください。

まず、しんどさを知る
ブッダは、2500年ほど前のインドの人です。『真理のことば』は、その言葉を、後の人たちが短い詩の形でまとめた本です。
さきほどの言葉は、こんな一節の中にあります。
「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観(み)るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
出典:『ブッダの真理のことば・感興のことば』(中村元訳/岩波文庫)
「苦しみである」と、まずはっきり書かれています。しんどいと感じるのは、あなたが弱いからではないのかもしれません。
ピヨ苦しみだってわかったら、もっとつらくならないの?
けれど、この詩は、そこで終わっていません。
「と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる」と続きます。
わたしには、この言葉がこう言っているように思えます。
しんどいことから目をそらしているあいだは、「どうして」「なんでわたしばかり」と苦しむばかりで、先へ進めない。
「この世は、しんどいこともあるものだ」とはっきり知ったとき、はじめて、「では、どうしようか」と考えられる。
知ることは、あきらめることではありません。「では、どうしようか」の、はじまりです。
怨む人の「あいだにあって」大いに楽しく生きよう
では、どうしようか。
そう考えるとき、わたしは同じ本にある、この言葉を思い出します。
怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう。怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは暮していこう。
出典:同上
「大いに楽しく生きよう」の前に、こう書かれています。
「怨みをいだいている人々のあいだにあって」。
怨む人がいなくなったら、楽しく生きよう。そうは書かれていません。
怨む人の「あいだにあって」、楽しく生きよう、と書かれているのです。
このあとにも、「悩める人々のあいだにあって、悩み無く」「貪(むさぼ)っている人々のあいだにあって、患(わずら)い無く」と、同じ形の言葉が続きます。
怨む人、悩む人、貪る人。
どれも「いなくなったら」ではなく、「あいだにあって」です。
わたしには、そういう人がいる世の中を前提に書かれているように読めます。



怨む人がいなくなるのを待ってたら、一生楽しめないかもね。
わたしなりに、楽しく生きる
わたしは、この言葉を、こう受け取りました。
この詩には、ふたつの「人」が出てきます。
怨みをいだいている「人々」と、「われら」です。
同じ場所にいても、人々は人々、われらはわれら。


怨む人は、いる。思いどおりにならないことも、なくならない。
人を変えることは、なかなかできません。
機嫌の悪い人がそばにいると、こちらまで、つい不機嫌になります。思いどおりにならない日が続くと、誰かを、何かを、うらみたくなる。
なりたくて、なっているわけではないと思います。気づいたら、引きずられているのです。



気づいたら、わたしまでイライラしてること、あるなあ……。
だから、そんなときに思い出したいのです。
まわりの怨みは、まわりのもの。わたしの毎日は、わたしのもの。
世の中が思いどおりになってから、楽しく生きるのではない。
思いどおりにならない世の中のまんなかで、楽しく生きる。
怨む人も、悩む人も、貪る人も、いなくならない。
それでも、「われらは大いに楽しく生きよう」。
「生きよう」は、そうしよう、と自分で決める言葉です。
わたしは、その中にあっても、わたしなりに楽しく生きるほうを選びたい。
とはいえ、しんどい日は楽しいことがあっても、楽しいと感じられないものです。
しんどい毎日は、明日すぐには変わらないかもしれません。
でも、その中にも、ほっとする瞬間がひとつくらいはあるかもしれない。あたたかいお茶とか、帰り道の夕焼けとか。
しんどいままでいいので、今日少しだけほっとした瞬間を、ひとつ思い出してみる。
・あたたかいお茶を飲んだとき、布団に入ったとき、なんでもいい
・見つからない日は、見つからないままで大丈夫
・思い出せたら、心の中で「大いに楽しく」とつぶやいてみる
しんどさが消えるのを、待たなくて大丈夫です。
2500年ほど前の人の言葉を集めた本にも、怨む人々の「あいだにあって」大いに楽しく生きよう、と書いてあります。



今日見つからなくても、大丈夫。まわりはまわり、あなたはあなた。ほっとする瞬間は、きっとまたやってくるよ。
(同じ『真理のことば』の、心についての言葉は、こちらの記事に書きました。→ 考えても仕方ないのに、夜になると同じことを考えてしまうあなたへ―ブッダの「遠くに行き、独り動く」心)
「われら」の中に、あなたも


「一切の形成されたものは苦しみである」と、「大いに楽しく生きよう」。
はじめは、正反対の言葉に見えるかもしれません。
でも、わたしには、ふたつがひとつの道に見えます。
苦しみがあると知る。だから、「では、どうするか」を考えられる。そして、まわりはまわり、わたしはわたしなりに楽しく生きるほうを選ぶ。
人生には、限りがあります。
どうせなら、怨んで過ごすより楽しんで生きたほうが、しあわせじゃないかな。わたしは、そう思います。
しかもこの本には、「少し」ではなく「大いに」と書かれています。
わたしには、思いっきり楽しんでいいんだよ、と言われているように感じられました。
だから、しんどさが消えるのを、待たなくていい。
しんどい毎日の中でも、ほっとする時間をひとつ持つこと。それが、この本の言う「大いに楽しく」の、小さなはじまりなのかもしれません。
夜、ふと、生きるってしんどいなと思ったら。
この詩の「われらは大いに楽しく生きよう」を、思い出してみてください。
わたしには、その「われら」の中に、今これを読んでいるあなたも、入っているように思えます。
しんどい夜も、ひとりきりではありません。
ほんのひとときでも、心がゆるむ時間になっていたらうれしいです。
また何かのときに、ふとこの記事を思い出してもらえたら。
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『ブッダの真理のことば・感興のことば』(中村元訳/岩波文庫)
今回の言葉は、第15章「楽しみ」などにあります。短い詩が番号つきで並んでいるので、開いたところから1つずつ読めます。しんどい日に、「楽しみ」の章だけ開いてみるのもおすすめです。
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わたしは紙で読む派ですが、気になる方はのぞいてみてください。
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