今日は、大事な用事がある日。
ゆうべは、あまり眠れなかった。目は覚めているのに、布団から出られません。
うまくいかなかったら、どうしよう。
がっかりされたら、どうしよう。
「元気を出さなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」と、自分に言い聞かせる。けれど、言い聞かせるほど、体は重くなっていく。
不安が消えたら、きっと動けるのに。
そう思いながら、天井を見ている朝はありませんか。
今日は、そんな朝に読んでほしい場面を紹介させてください。330年ほど前、ひどい夜を過ごした芭蕉が、不安を抱えたまま迎えた朝のことです。

「眠らず」―芭蕉『おくのほそ道』飯塚の宿の夜
『おくのほそ道』は、江戸時代の俳人・松尾芭蕉の旅の記録です。
ピヨ芭蕉さんも、旅先でつらい夜があったの?
ありました。飯塚(いいづか)という土地に泊まった夜のことです。
温泉があったので湯に入り、宿を借ります。そこは、土間にむしろを敷いただけの粗末な家でした。灯りもなく、囲炉裏の火のそばに寝床をつくって横になります。
夜に入りて雷鳴り、雨しきりに降りて、臥(ふ)せる上より漏(も)り、蚤(のみ)・蚊にせせられて眠らず、持病さへおこりて、消え入るばかりになん。
(深夜、雷鳴をともなう激しい雨に目が覚めた。寝ている上から雨漏りがしてきた。おまけに、蚤や蚊に食われて、眠れない。間の悪いことに、持病の腹痛まで起こって、気が遠くなりそうだった。)
出典:『おくのほそ道(全)ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』(角川書店編/角川ソフィア文庫)※ルビは引用者
雷。雨漏り。蚤と蚊。そこに、持病まで。
読んでいて、思わず「ひどい夜だったね」と声をかけたくなります。
朝になっても、気持ちは進まなかった
それでも、夜は明けます。
短夜(みじかよ)の空もやうやう明くれば、また旅立ちぬ。なほ夜のなごり、心進まず。馬借りて桑折(こおり)の駅に出(い)づる。
(初夏の短夜が夜長に感じられ、ようやく夜が明けたので、早々に宿をあとにした。だが、まだ昨夜の苦痛が残っていて、気分がすっきりしない。しかたなく、馬を雇って桑折(福島県伊達郡)の宿場に出た。)
出典:同上※ルビは引用者
ゆうべの名残で、まだ気持ちが進まない。芭蕉は、馬を借りて宿場まで出ます。



芭蕉さんも、この朝は馬を借りたんだね。今ならタクシーを呼ぶ感じかな。
(眠れない夜に、同じことを考えてしまうときの話は、こちらの記事に書きました。→ 考えても仕方ないのに、夜になると同じことを考えてしまうあなたへ―ブッダの「遠くに行き、独り動く」心)
けれど、馬を借りても、不安がなくなったわけではありませんでした。


「おぼつかなしといへど」―不安は、消えていなかった
遥かなる行末をかかへて、かかる病おぼつかなしといへど、羇旅(きりょ)辺土(へんど)の行脚(あんぎゃ)、捨身(しゃしん)無常の観念、道路に死なん、これ天の命なりと、気力いささかとり直し……
(この先はるかな旅路なのに、もうこんな病にかかるとは、と不安であるけれども、「こんどの旅は僻地を行脚する旅であり、人世の無常を観じ、身を捨てる覚悟で出発したのだから、たとい道でのたれ死にしようとも、それもまた運命というものだ」と開き直り、気を取り直すと……)
出典:同上※ルビは引用者
この一節は、ゆっくり読んでみてください。
書かれている順番が、大事なのです。
まず、芭蕉は不安を書いています。
先の長い旅に、この病では心もとない。「おぼつかなし」です。
次に、「といへど」と続けます。「けれども」という意味です。
芭蕉は、不安を打ち消していません。心もとない、けれども、と書いているのです。
そのうえで、この旅がどういう旅だったかを書きます。
遠い土地を行く旅は、もとより、身を捨てる覚悟で出てきたもの。道の途中で死ぬとしても、それは天の命だ。
そして、気力を「いささか」取り直して、伊達の大木戸を越えていきます。



元気が戻ったのは、覚悟したあとなんだね。順番、逆だと思ってた。
元気が出てから、ではなかった
わたしたちは、ふつう、こういう順番で考えています。
元気が出たら、動ける。不安が消えたら、動ける。
けれど、芭蕉が書いた順番は逆でした。
不安は、消えていない。病気も、治ったとは書かれていない。
不安を抱えたまま、「どうなっても、それは天の命だ」と腹を決めた。気力が戻ったのは、そのあとです。
わたしがこの一節から受け取ったのは、こういうことです。
元気が出てから、腹を決めるのではない。腹を決めたら、元気があとから少し戻ってくる。
芭蕉の「最悪」は、旅の途中で命を落とすことでした。
わたしたちの朝の「最悪」は、もっと小さなものです。うまく話せないかもしれない。間に合わないかもしれない。人をがっかりさせるかもしれない。
その「最悪」を見ないようにして「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせているあいだは、どこかでずっと身構えたままです。
いっそ先に、「うまくいかなかったら、それはそれ」と腹を決めてしまう。
たとえば、大事な電話の前に「うまく話せなかったら、かけ直せばいい」と決めておく。それだけで、張りつめていたものが少しゆるむことがあります。
それは、あきらめとは違います。
芭蕉は、そこで旅をやめたのではなく、大木戸を越えていきました。
あきらめると足が止まるけれど、腹を決めると足が前に出る。 わたしには、芭蕉の朝がそう読めます。
わたしにも、覚えがあります。
以前、組織で働いていたころのことです。
成果を発表する機会があるときは、ずっと不安でした。
でも、「これが自分の成果なんだから、今更変えられない。何を言われても、どう思われても、いい」と、腹をくくったのです。
そうしたら、不思議と、堂々と発表できました。
腹をくくったのが先で、堂々とできたのは、そのあとでした。
動けない朝は、心配ごとをひとつ思い浮かべて、「うまくいかなかったら、それはそれ」とつぶやいてみる。
・「うまく話せなかったら」「間に合わなかったら」、なんでもいい不安をひとつ
・しっくりこなければ、「何を言われても、いい」でもかまいません
・つぶやけたら、まず一歩だけ動いてみる(布団から出る、資料を開く、など)
芭蕉の「これ天の命なり」にくらべたら、ずいぶんささやかな言葉です。
それでも、腹を決めたあとで気力が戻る順番は、芭蕉と同じです。



不安なままで、歩き出していいんだよ。芭蕉さんだって、そうだったんだから。
不安を抱えたまま、大木戸を越えて
雷と雨漏りと、蚤と蚊と、持病の夜。
その次の日、芭蕉は、不安を消さないまま「これ天の命なり」と書きました。
気力が少し戻ったのは、そのあとのことです。
不安が消えるまで、待たなくていい。
「うまくいかなかったら、それはそれ」と腹を決めた朝は、足が案外前に出るものなのかもしれません。
ほんのひとときでも、心がゆるむ時間になっていたらうれしいです。
また何かのときに、ふとこの記事を思い出してもらえたら。


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『おくのほそ道(全)ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』(角川書店編/角川ソフィア文庫)
今回の場面は、飯塚の宿に泊まった夜と、その次の日のくだりです。原文と現代語訳がそろっているので、330年ほど前の旅の一日を、芭蕉の言葉のまま追いかけられます。不安で動けない朝に、1ページだけ開いてみてください。
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